私はこうして32年間勤めた会社を辞めました

転職転職

前回の東京オリンピックイヤーにこの世に生を受け、早56年ー。40歳までは人生 順調でしたが、翌年から歯車が狂い始めました。。。今私は再就職先で丸6年を迎えましたが、この先さらに厳しい境遇になりそうです。

プロローグ

人生80年とするならば、私はもうその7割の過程を今 生きている。

これまで幾度となく岐路に立たされ、迷い、そのつど決断をしてきた。

決断してきた数は大小織り交ぜ数知れず。その大半が決断と言う言葉を使って語るには小さすぎて記憶の片隅にも残っていない。

だが、大きな決断のことは苦もなく思い出せる。中でもこれを話したら人に失笑を買ってしまうようなメガトン級の決断があった。

 

『笑う用意はよろしいか?』

 

私は今から6年前、小学1年と幼稚園年少の2人の子を抱えた50歳手前で、高卒後一筋に働いてきた会社を大して迷いもせずに去ることを決断し、次の行き先も見つけないまま、加えて有給休暇も消化することなく退職してしまったのです。

 

PCの向こう側、開いた口が塞がらないアナタの顔が見える。。

まだ登場していないが、私には妻もいる。

『大反対されなかったのかって?』

辞めたいと口にしたのはこの時が初めてじゃなかったから。。

呆れてはいたとは思うけど、止められることはなかった。

会社を辞めるに至った最初のきっかけ

辞めることになるまでには伏線があった。最初のキッカケは退職する4年半前に遡る。

当時私は小さな工場の管理職を任されていた。会社は都内近郊に多くの店舗を構え、日々、売り上げ利益を追求していく大企業だった。

今でこそ労働環境は大部改善されたようだが、管理職の当時の休みは週1回の定休日以外は非常に取りずらく、帰宅は連日22時をまわった。

それでも工場の日々の売り上げ利益が遅れずに進捗してくれれば、気持ちだけは前向きになれるのだが(体の方は前述の勤務状況だったのでヘロヘロ)会社の工場に対する目標の考え方がおかしく、努力してもどうにもならないものに大きなウエイトが置かれていた為、ラッキーが無い月は、月半ばで白旗を振りたくなる状況が度々起きていた。

そんな時、苦労を労ってくれる上司が居たらどれだけ救われただろうと思ったが、当時の上司は私が休み返上で出勤しても御苦労さんの一言も無い人だった。また私の性格上、部下に業務の遂行にあたり厳しいことを言わなくてはならない局面でも言うことが出来ず、日増しに心身共に疲弊していった。

そんな日常を2年以上続けたある日、

『もう限界だ。。』

とにかく現状から逃げたい一心で、次の行き先は決めぬまま上司に退職したい意向を伝えた。

 

翌日、そのことを聞きつけた本部の部長が飛んできてくれて面談をした。

『お前は会社を辞めたいのか、それとも他の部署でなら また頑張れるのか?』

 

救いの言葉だった。
白旗を上げたのだから、そのままクビを切られても仕方がない状況。そこを救ってくださり、来月から本社で働けるよう取り計らってくださった。

感謝しかなかった。

 

しかし、このとき自ら白旗を上げたことが、後年、自分自身を追い込むことになるとは、その時はまだ知る由もなかった。(つづく)

 

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